相撲界の八百長は根が深い

連日、新聞紙面を賑わしている相撲の八百長問題、なかなか根が深いものがある。

幕内力士と幕下では待遇に大きな差があり、幕下に下がりたくない一心で勝敗の融通をしていたとのこと。
そういった事情はおもんぱかるが、そもそもあれだけ多くの観客の前で(しかもテレビ中継もあり)八百長が成立するのか?と疑いたくなる。
時としてアマチュアのスポーツにおいて力を出し切っていないプレーは素人目に見ていてもそれと分かるものだが、相撲の場合多くの目の肥えたファンをも騙し通せるものなのだろうか?
八百長の語源・由来】
八百長は、明治時代の八百屋の店主『長兵衛(ちょうべえ)』に由来する。 長兵衛は 通称「八百長」といい、相撲の年寄『伊勢海五太夫』の碁仲間であった。 碁の実力は長兵衛が勝っていたが、商売上の打算から、うまく勝敗を調整していた。